今日のブログから、
1987年(昭和62年)に突入します。
当時は中学3年生。
中学2年で登校拒否を1ヶ月くらい体験し、
その影響で、成績は最悪。
高校には何とか進学出来ましたが、
出来ることなら、
人生をもう一度やり直したいと、
時々思うナゲーです。
ということで、本日は
昭和61年12月から昭和62年1月に
またいで、岐阜地区を走った
普段着の列車と珍しい列車の写真を
駆け足で、ご紹介します。
まずは昭和61年の年末の様子。
「急行のりくら キハ65形」
編成はだんだん短くなって、
国鉄末期は最短4両編成。
だけど、グリーン車はしっかり連結されていました。
熱田駅へ向かう「急行カートレインユーロ名古屋」
クルマと人を一緒に運ぶ列車。
荷物車にパレットでクルマを積むので
時間もかかり、小型車しか積めなかったため
短期間で運行を終了しました。
「急行 奥飛騨」
ユーロ専用機になる前の「DD51791号機」
14系は、いっぱい走ってましたので
特に珍しい事でもありませんでした。
普段着の「特急 ひだ」キハ82系。
東海道本線と別れる付近。
高山へ向かって必死の走りです。
「臨時特急金星」の返却回送。
言われても、何も表示が無いので
分かりませんね。
ここからは、1月5日に撮影。
普段着の「特急 しらさぎ」
トヨタ自動車社員帰省専用列車
「急行 ふるさと」岡崎行き。
下りは年末に熊本へ。
写真は上り列車、1日のみの設定。
しかも、583系が久々に岐阜地区を白昼走るということで
とても興奮したのを覚えています。
あいにくのどんより曇り空でしたので
青色がきれいに出ませんでした。
トホホな写真です。
こちらは下りの返却回送列車。
583系が岐阜地区を日中走るのは
これが最後だと思い
感慨深く見送りました。
それにしても、遠く九州から
トヨタ自動車に働きに来ている方が
たくさん居たんですね。
地元で働けている僕は、
もっと感謝しないとダメですね。
こんな感じで、国鉄最後の年末年始は
過ぎていきました。
ふ~ん。それがどうかしたの?
今後のブログですが、
2018年に撮った写真が、
そろそろネタ切れになってきましたので、
昔の写真を連続してご紹介していった方が良いか
悩んでいます。
勝手にしろって感じですが、
昔の写真は車両中心でしたので、
あまりそればかりでもと思いつつ、
順番でないと、ボケが始まってますので
ゴチャゴチャになりつつあり、
苦悩しております。
なるべく見て頂ける記事にしようと日々考えておりますが、
車両に偏ってしまう時も出てきそうですので、
いつも見て下さっている方には申し訳ありませんが
何卒、ご容赦下さいますよう、
今後ともよろしくお願い致します。
今日はこの辺りで失礼します。