会社に行くと、イヤミ・無視・パワハラの嵐。
詰所に居たくなくて
今日も得意の草むしり。
一つ残らず、小さいスコップで
チマチマと全部取ります。気持ちい~!
生まれ変わったら、
人間には絶対なりたくないナゲーです。
ということで、昨日の続きをと
思っていましたが、再掲の記事ですので
「それ、もうええわ」と思わるといけませんから
従来通り、昔の写真と織り交ぜて
ご紹介していきます。
中学最後の名鉄乗り回しとか言いながら、
高校になっても乗り回していて、
マニア道を突き進んでいました。
既に、高校生活が始まり、
緊張の連続を、写真でほぐそうと
この日は、途中で降りながら、常滑線方面へ。
1987年4月26日。
乗ってる電車から見かけたので、
「新川橋駅」で下車。
やはり雨の中、数分歩いて
新川検車区の端っこから。
今は柵で見えませんが、
当時は近くを流れる川の堤防道路から丸見え。
「7000系パノラマカー」が
白帯特急車に改造途中の様子です。
車内の座席は、取り払われています。
隣に停まっていた「3730系」
系統板も差し込まれ、スタンバイ状態。
今だったら、即盗難ですね。
新川橋駅へ戻ってきました。
駅員さんが、ちゃんと居ました。
駅前の駄菓子屋(左側の家屋)も、名鉄駅では
当たり前に見られた風景。
この時期になると、必ず
「踏切事故防止運動実施中板」が数編成に
付けられました。
ほぼ必ず、「デキ600形」が
昼寝していました。
大江駅の構内は広くて、
廃車になった車両が、たまに留置されていました。
この日は、「3900系」が
旅立ちの時を待っていました。
毎度の、おおらかな時代。
留置車両の近くで撮れました。
昔は名古屋本線を疾走した特急車両。
車内は固定クロスシート。重厚な走り。
好きな車両の一つでした。
台車がグレーに塗装されています。
この車両、生まれ変わることになっていました。
下回り機器を再利用して、車体だけ新製。
はたして3900系は、喜んでいたのか、
悲しい気持ちだったのか。
僕も複雑な気持ちです。
言葉は悪いですが、人間で言うと
臓器提供のする側と、される側と同じ。
生き物か、ただの電車かの違いだけ。
当事者の方の気持ちを考えると、言葉になりません。
生まれ変わるのに必要な機器は
台車を除いて、全て取り払われていました。
ホームから撮影。
こちはは高運転台に改造されています。
昭和62年、3900系はこの世を去りました。
名鉄好きな方は、何系に生まれ変わったか御存知ですね。
その姿も、順次ご紹介していきます。
大江駅でしばらく撮影。
6000系が一大勢力になり、
これでもか!というほど、
来るのは6000系ばかり。
大江駅は、急カーブの途上にホームがあり、
当時は急行は通過していましたので、
高速でカーブを通過する、
迫力ある走行風景が楽しめました。
ほぼ、6000系ばかりですが・・・。
なぜ犬山駅へ向かったのか?
でも、6000系。
クソッ!またか!って感じでしたが、
今となっては、希少種に。
時間は止まってくれませんね。
6000系もそろそろ、真剣に撮らなくては。
電車も、あの世へ逝くのかなぁ・・・。
今日はこの辺りで失礼します。