テレビで話題になっている、
クルマの煽り運転の容疑者が
逮捕されましたね。良かったです。
クルマは煽られたくないですが、
仕事や、子供の相手等
煽ってくれないと、動けないナゲーです。
ということで、
岐阜市内も、これが走っていたら
煽られることも無いかもというお話しです。
ナゲーの子供達は、
岐阜に、ちんちん電車が走っていた事を
知らない世代です。
「ぎふ中部未来博覧会」が開催決定になり、
廃線決定となりました。
観客輸送の障害になると、岐阜市が結論付け
名古屋鉄道さんも、赤字に困り、
岐阜バスも走りやすくなるという、
なにか、裏でドロドロとうごめくものを感じる決定でした。
お分かりになると思います。
岐阜のシンボルで、廃線になるなんて
思いもよらなかったので、
記憶に残すべく、撮影しました。
1988年2月7日。
前日までに降った雪が、まだ所々に残っています。
名鉄岐阜市内本線・長良北町駅。
(電停とか停留所ですが、あえて駅と言います)
通称長良線は、急カーブが多く
細い車体の「550形・560形」しか
入線出来ませんでした。
ここから先も、高富まで路線がありましたが、
ナゲーが地獄に居るうちに廃線になってます。
岐阜市内線には、岐阜駅前を除き、
安全地帯がありませんでした。
常に、クルマにはねられる危険がありました。
実際に死傷者も出ていますが、廃線になるまで
ほとんど対策は施されませんでした。
長良北町駅は、単線になっていて
電車が発車しないと、次の電車が
入れませんでした。
長良北町~鵜飼屋間。
クルマに埋もれて、北町行きが遠慮して走ります。
道幅が狭い上に、複線だったので
余計に邪魔者扱いされていました。
長良橋は、博覧会にむけて塗装中。
クルマが居ない時は、ササーっと走り抜けます。
長良橋駅。と言っても
道路に白線が引いてあるだけ。
路上で待つことは、自殺行為です。
黄色の系統板は長良線、白色は忠節方面と
色分けがされていました。
赤字は新岐阜駅前折り返し、黒字は岐阜駅前行きでした。
553号は、花電車専用。
祭りになると、飾り付けされました。
(このときはまだ清流だった)長良川と、ちんちん電車。
長良川河口堰が出来てからは、
たくさんの藻が浮くようになりました。
553号が折り返してきました。
郊外へ行く主要道路なので、混雑します。
後方には、岐阜から撤退した名鉄バス。
岐阜は、宮内庁直属の鵜飼で有名です。
鵜匠さんは、宮内庁の職員。
御料鵜飼というのが、行われているそうです。
ちなみに、ナゲーは岐阜に住んでいながら
1回も、鵜飼を生で見たことがありません。
(料金が高すぎて、屋形船に乗れない)
名水百選の名が泣きます。
当時は、良く泳ぎに行って、
水もそのまま飲んだ事もありますが、
今は、いろんなものが浮いていて
飲めたもんではありません。泳ぐ気にもなれない。
きれいな頃を知っている人は、
泳がないんじゃないでしょうか。
廃線は表明されましたが、まだ数ヶ月先でしたので、
撮影しているマニアさんは、皆無。
クルマの軌道内走行可でしたので、
電車が立ち往生するのは、しょっちゅうでした。
公園前~長良橋間。
夕方の斜陽を浴びて、トコトコ走ります。
雪の後で、砂埃が舞い上がります。
公園前駅。
しょぼい水族館や、動物園がありました。
少しの観光客を乗せます。
岐阜駅前行きですが、
滅多に岐阜駅前へは行かない電車です。
ここから、伊奈波通付近までは
狭い道を、クネクネ走っていきます。
雪が積もると、どこが乗り場だか
判別が難しくなります。
本町~材木町間。
電車が居なくなると、我が物顔で
クルマが走り回ります。
道路には歩道もなく、古い家が点在していました。
一方通行の道路を、電車は両方向に走ります。
真正面から電車が来たら、ビックリしそうです。
右奥へ行くと、公園前駅です。
今思えば、もっと撮っておくべきだったと
後悔しきれません。
まだ、高校1年生だったので、
事の重大さが、まったく分かっていませんでした。
過去を知っている岐阜市民は、
ちんちん電車を残すべきだったと思う人が
多く居ると思います。
名鉄岐阜駅前から柳ヶ瀬までの、さびれ様は
目を覆いたくなります。
電車があった頃は、夜遅くまで人で溢れていた神田町通りは、
今では夜8時以降は、危ないゴーストタウン並に人が少ないです。
邪魔なものは何であっても、排除する。
昔も今も、変わらないということでしょうか。
今後もしばらく、岐阜の600V線の写真を
ぽつぽつご紹介していきます。
おまけ
正月輸送で、豊川線に入線した「パノラマDX」
豊川稲荷駅にて。1月31日。
続・びよ~~~~~ん
今日はこの辺りで失礼します。