最近は、出会いよりも
別れる事が多くなりました。
圧倒的に、周囲の葬儀数が増えています。
仕方ないですけどね。
そろそろ、毛髪とも
お別れの時が迫ってきたナゲーです。
ということで、
お別れの日を、昨日よりご紹介しています。
前回は、こちら。
本日は、運行最終日
最後のお別れの瞬間まで
ご紹介します。
1988年5月31日。
岐阜駅前駅。
この日は、岐阜駅前~長良北町間は
終日、無料開放されました。
系統板には、「謝恩 無料電車」の板。
早速乗り込んで、終点・長良北町へ。
すごい事になっていました。
溢れかえる、お名残乗客。
名鉄職員さんが多数出動して、
交通整理をされておりました。
普段の通学生も、困惑状態。
駐車車両に邪魔をされつつ、後続車が到着。
お名残お客さんを詰め込むのに時間がかかり、
だんご運転気味に。
そのまま降りないお客さんも居て、
乗れない状態が続きます。
路面電車より、クルマの方が
ホントに邪魔でした。
しばらく撮影して、
花電車で、新岐阜駅へ戻ります。
新岐阜駅に着きました。
たくさんのお客さんが吐き出されます。
電車が滞りがちになっていました。
今日は、もう無ダイヤ状態。
夜になるにつれて、どんどん人が増えてきました。
パニック状態の新岐阜駅前。
貧弱な安全地帯しか無いため、
道路上にまで、お客さんが溢れて
クルマのクラクションがヒートアップ。
もうメチャクチャです。
最終列車のセレモニーのために、
3両だけ残して、準備をしています。
そのうちに、運転士さんが整列し、
最終電車出発セレモニーが
始まりました。
特に、マニアさんの団体が主催するでもなく、
名鉄職員さんが、司会進行し、
その場に居合わせた、3名の女性に花束が手渡され、
最終電車の運転士さんに、贈呈されました。
完全に岐阜のチンチン電車が、
廃止になる訳では無かったので、
さようならの悲壮感もそれほど無く、
一瞬のうちに、セレモニーは終わりました。
最後の運転士さんは、
並んでポーズをとらされていましたので、
ナゲーも1枚撮らせて頂きました。
長良北町行きの最終電車が
出発していきます。
3両で隊列を組んで、走っていきます。
ナゲーも最終電車の客になりました。
そして・・・・
しんがりを務めた花電車が、
新岐阜駅前に戻ってきてしまいました。
最後の回送電車は、
岐阜のちんちん電車が開業したときに鳴らしていたらしい、
発車するときに鳴らした鐘を鳴らして、
お別れですと、職員さんの放送。
いよいよ、お別れの時が参りました。
永遠に、岐阜市内・長良線とのお別れです。
運行を終え、系統板を外された花電車が
一番最後に、車庫に向け走り始めます。
左側の職員さんが、鐘を「チンチン」鳴らしながら
電車は、二度と帰らぬ旅へ出発しました。
現在のように、葬式鉄のような叫び声もなく
静かに、77年間の鉄生に幕を閉じました。
77年間、岐阜市民のために走り続けた
岐阜市内・長良線。
生まれて初めて、廃線を体験したナゲーにとって、
衝撃的で、悲しい1日になりました。
岐阜市は、大切な財産を失いました。
その結果、商店街は目を覆う惨状になりました。
目先の「未来博」に目を奪われ、
少なくともナゲーは、その先の惨状を考えませんでした。
岐阜市民の1人として、非常に残念です。
今度、岐阜駅前に展示される「510形」を
見る機会がある方は、
こんなひどい仕打ちを受けたちんちん電車が
あったんだなぁと、思い出して頂けたら、
長良線も、安らかに眠る事が出来ると思います。
保健所から生還した、まるちゃんです。
この家に来て、幸せだったかな?
次回は、長良線で撮った
ナゲーのフーケーをお送りします。
ご期待しないで下さい。
今日はこの辺りで失礼します。