実を言うと、ナゲーは小学校以来
「修学旅行」という行事に
行ったことがありません。
小学6年生は、定番の「奈良・京都」
中学生になると「YSK」(どっかの工場みたいな名前)
という、名前だけ見るとカッコイイですが
「野外相互活動」の頭文字の略。
中学1年生は、愛知青少年公園にわざわざフォークダンス。
中学3年生は、富士登山(新5合目まで)と、
悲惨な旅行でした。
高校生になったら、観光地かと思いきや、
高校1年生は、乗鞍登山。
高校2年生は、広島県江田島へ、海上自衛隊の地獄のカッター訓練。
日本人の精神鍛錬には、付いていけないナゲーです。
ということで、本日は
高校2年生の時に、死ぬ思いで耐えた
「江田島・地獄の研修旅行」に、
カメラを持って行って良いとの事で、
その時に撮った、電車関連の写真を中心に
地獄の様子を、文章でお伝えして参ります。
1988年10月2日、4日間の地獄の始まりは
岐阜羽島駅に集合。
0系「ひかり・岡山行き」に乗り込みました。
当時は、ほとんどが0系。座席は向きが変えられない
集団離反形座席でした。
(2人掛けは転換できたけど、3人掛けは真ん中から背中合わせで固定)
カッター訓練とは聞いていたけど、
詳しくは知らなかったので、
トランプやウノをやったり、リラックスムード。
この先に地獄が待っているなんて誰が想像したでしょう。
ナゲーも、珍しい電車を撮るのに必死。
どこの電車区でしょうか?
一応男女共学だったけど、
全校生徒1200人の内、女子は4人!!!!!
ほぼ、狼集団だった工業高校2年生徒。
岡山駅ホームに列車が滑り込むと、
ここからお世話になる観光バスのガイドさん5名が整列して
お出迎えされていましたが、その中に1名だけ
非常にふくよかなガイドさん。
10クラスあって5クラスずつ、行程をずらしての実施。
ナゲー達の行程は、前半天国・後半地獄のイヤなパターン。
我がクラスは、その、ふくよかなガイドさんにジャストミート。
狼集団だった野獣からは、ここでは書けないような言葉の暴力。
でも、そのガイドさんは逆手にとって
「オメーラ、ウッセーンダヨ!踏みつぶすぞ!」
と、楽しい道中で、瀬戸大橋と倉敷市内まで案内して頂きました。
みんな諦めて、トボトボ歩く岡山駅ホーム。
制服姿の歩く2名は、「鉄道公安職員」から
JR転換で発足した「鉄道警察隊」の方。
制服がまだ、「鉄道公安官」のままかな?
瀬戸大橋は、開通したばかりで、
駅前はお祝いムード一色。
道中は、ガイドさんが、がんばって案内してましたが
野獣連中は怒号・罵声(とまではいきませんが)
ガイドさんは「テメーラ、チャントキーテンノカコラ!!」
「デブをバカニスンジャネーヨ、コノクソガキガ!!」
「オメーラダッテ、ソノウチジジイニナッテ、デブルンジャ!!」
全くその通りになりました。
楽しい雰囲気のまま・・・、与島に到着。
出来たばっかの、壮大な瀬戸大橋を
ホタテ串を食いながら、しばらく楽しみます。
鉄橋を行く、「快速マリンライナー」
全く鉄道写真になっていません。
JR四国・キハ185系。
残念ながら、こんな感じしか撮れませんでした。
与島フィッシャーマンズワーフを出発し、
2度目のバス車内バトルを繰り広げ、
倉敷で、ふくよかなバスガイドさんとは
お別れになりました。
「二度とクンジャネーゾ!クソガキヤロウ!!!」
とか言いながら、みんな最後は笑って手を振ってました。
(高校生では、良さが分からない)
倉敷駅と一体となった、ホテル倉敷へ。
天国の1日目は、ここで終了。
夜食は、テーブルマナーを学びながらコース料理。
(最後はマナーもクソも無い無法状態)
部屋からは、倉敷のバスと町並みが見えました。
珍しく、生徒全員個室。
先生も、生徒を大人扱いしてくれていた学校なので
1人の時間をみんなゆったりと過ごして、
2日目に突入します。
このホテルでは、ちょっとした
大人のハプニングがありましたが、
その内容は次回のお楽しみです。
ヤヴァイ!大型巨猫が、ナゲー家を襲っています。
ナゲー兵団はまだか!!間に合わない!!!
晋三を捧げよ!!!!(字が違う!!!!)
アッ、アッ、う゛ぁあああああ!!!
助けてくれ~~~、食われちまう!!!
城壁が破られるぞ~~~!!!
クッソ~!駆逐シテヤルッ、駆逐シテヤルッ!!!
キャ~~~~、もうダメだぁぁぁぁぁ・・・。
ナゲー団長!もうダメです!!!!
クッソ、ここまでか・・・・。
大型巨猫は、ナゲー家を破壊しまくって
帰っていった・・・・。
(進撃の巨猫)
今日はこの辺りで失礼します。