無事に、帰還しました!
(別に帰ってこんでもエエッちゅう意見も!?)
今日は、夜中出勤だったので
半分寝ながら、相当気合いを入れて行きました。
結局、一言も言葉を交わすこともなく
淡々と仕事を終えられましたので
爆発せずに済みました。
疲弊した気力回復のために
帰りに、あちこち写真を撮りにブラブラし
鉄道雑誌を立ち読む本屋さんで、毎月買う
自販機のアイスクリームを、
今日は奮発して¥200のを買ってしまったり
(仕事日の昼食と同じ値段ではないか!)
帰宅したら、今まで昼寝してしまったり。
こんな人生、もうたくさんのナゲーです。
ということで、
後半をご紹介して参ります。
どこまでやったか、忘れそうでした。
(最近、会社の人まで名前忘れて、結構ヤバイ)
そうそう、名電各務原駅まででしたね。
歩いたおかげで、撮影日が違っています。
1988年12月11日。
二十軒駅。「ニジッケン」と言います。
周囲に家は、20軒以上ありました。
各務原市は、工場が多い地域。
電車も、工場脇をかすめて走ります。
線路横が畑だと、柵も何もありません。
三柿野駅。屋根が銅葺きなのか、緑色です。
航空祭の時は、スペースが無くなるほど
人間で埋め尽くされます。
最近航空祭に行けてないですが、
いつか1人で満喫してやります!
構内配線は、こんな感じ。
昔も今も、変化がありません。
三柿野を発車すると、ほんのちょっと
工場地帯を走ります。
この踏切は、工場の敷地内にあります。
接近して撮影すると、不審者に。
(ナゲーは元々、不信者ですが何か・・・)
6軒以上家があるのに、六軒駅。
二十軒駅よりも、更に町中です。
「回」と書いてありますが、試運転電車のようです。
列車本数が少ないため、
たまに、このような列車に出くわします。
名ばかりの、各務原飛行場駅。
三柿野駅が最寄りで、ここで降りると
えらいことになります。
各務原線は、えらいことになる駅が多いですね。
(現在は、各務原市役所駅に改称されています)
岐阜大学はどっか行っちゃって、もう無いのに
「岐阜大学前駅」を数年間名乗ってました。
岐阜大学があると思って、ここで降りると
えらいことになります。
大学跡地は、この時点でもう
各務原市民公園に変わっています。
(現在は、市民公園前に改称されています)
無視して走ってます。
この、かわいらしい駅舎は無くなりました。
名鉄那加駅とはなりませんでした。
今は、JRと連絡してるんかな?
この駅から種別が変わる列車があるほど
一大ターミナル(?)でした。
新加納駅。
まったく遠く離れています。
岐阜方面のホームは、民家に直結していました。
(この辺りの地名が新加納町らしいです)
新加納駅に進入する、3800系。
岐阜市に入りました。高田橋駅。
春には、桜が見事に咲きます。
奥の建物は病院ですが、廃院になって
しばらくは「出る」病院として知られていました。
火祭りで有名な、手力雄神社の「手力駅」
ここから神社まで、かなりの距離がありますので
えらいことになります。
日付が変わって、1989年2月5日。
(「平成」になっちゃいました!)
3ヶ月間、何してたんだって感じですが。
切通駅。ラッシュ時には駅員さんが
派遣されました。立派な急行停車駅に昇格。
細畑駅。路地裏にぽっかりと入口があって
痴漢とか、わりと犯罪が起きやすい駅です。
県警のメールで、細畑駅周辺で・・・と
よくメールが来ます。お気をつけ下さい。
細畑~田神間で、JRと名鉄がクロスします。
合成したら、面白い写真になりましたね。
木造架線柱が乱立する、各務原線。
今でも、結構残っています。
アト1駅で終点です。「田神駅」
アパートは取り壊されました。
有人駅で、利用客も多いですが
急行は通過します。
田神~新岐阜間にあった「常時遮断踏切」
今もあるのかな?今度確認に行ってみます。
この先には、民家とマンションしか無いため、
ボタンを押さないと、踏切が通れない
メチャクチャ不便な踏切でした。
クルマの人は、絶対降りないとボタン押せません。
やっと、終点・新岐阜駅。
これまた日付が、1989年2月12日です。
早朝の、人影がまばらな時間。
年をまたいでのご紹介で、変な感じに
なってしまいました。
意味も無く、各務原線の紹介でした。
冬の日付になってしまいましたので、
雪に興味津々のまるちゃんを。
今日はこの辺りで失礼します。