先日、「秋の叙勲」のニュースを
テレビで見ました。
よく知らない制度ですが、
国に貢献した人に贈られるようですね。
そんなの、みんな何かしら貢献してるように
思いますが、そういう事ではないんですよね?
少なくともナゲーは、何も貢献してませんが
足やカラダが臭いので、
毎年「春・秋の除菌」を家族からして頂くナゲーです。
ということで、今回は
名古屋地区の一大ターミナル駅になった
廃止前の写真をご紹介します。
金山橋駅は、平成元年7月にJRと統合され
「金山総合駅」として大変貌を遂げました。
名古屋鉄道さんは、名前も場所も違う駅、
JR東海道本線には、駅がありませんでした。
金山橋駅は、古い建物の駅で
無くなるというので、撮影に行きましたが
当時、青春真っ只中のナゲーは、(今は晩年真っ只中)
人混みで電車を撮るのが恥ずかしいと思っていた時期があり、
(今でも、ちょっと気が引けます)
電車そのものの写真は撮りませんでした。
施設中心のご紹介となります。
1989年6月25日。駅廃止の16日前です。
電車で降り立ち、まずは駅名標を撮影。
向こう側の線路は、JR東海道本線。
優等列車に道を譲るため、待避線に入る普通電車。
木造のホーム上屋。平仮名書きのつり下げ駅名板。
もちろん、都会なのに点字ブロックも無し。
木の架線柱まで建っていました。
こちらは、豊橋方面ホーム。
同じく木造のホーム上屋。
右側には、急行新岐阜行きが到着。
普通電車を追い抜きます。
駅の外に出てきました。
金山中心部の交差点へ続く、この道は
坂道になっていて、現在でも面影があります。
狭い歩道に、金山橋駅舎は建っていました。
クルマがたくさん通るので、全貌は撮れず。
駅名の看板を探していましたが、
駅舎中心部には発見できず、
駅から続くアーケード街みたいなのが
途切れたところに、駅名看板がありました。
右側には赤い公衆電話、駄菓子屋みたいな店。
こんなところで写真撮ってる奴は皆無。
顔からは太陽プロミネンスが。
注目を浴びるのが苦手なナゲーです。
ちょっと先に足を延ばして、
線路上の交通量の多い道路から撮影。
左方向へ線路は大きくカーブをしていて
ここからは見れません。
やはり、木の架線柱が残っています。
駅舎へ続くアーケードへ戻り、
通行人が途切れた一瞬のチャンスに撮影。
階段状にお店が並んでいます。
廃駅と同時に無くなる運命だったのでしょうか。
金山橋駅・改札口。1ヶ所しかありませんでした。
これでラッシュ時を捌いていたなんて驚異的であります。
改札内にも商店街みたいな店がありました。
八百屋さんみたいなのも見えます。
平成の世とはいえ、有人改札がまだまだ当たり前。
こちらは改札外のアーケードから続く商店街。
飲み屋さんもあったようです。
地下街の様相で、写真がまっくらけ。
もうちょっと上手に撮れてたらなぁ。
ホームに戻って来ました。
木の柱の支えには、古いレールが使ってありました。
もの凄く古いレールだと、本で読んだ事があります。
ラッシュ時は禁煙タイムだったようですが、
果たして守ってる人が居たかどうか・・・。
名古屋方面ホームに停まる7500系。
列車本数が立て込んでいるので、
待避列車が無い時は、優等列車も
待避線から着発するときもあったようです。
名古屋方を望みます。
ちょっと分かりヅラ(ヅラ?)いですが、
金山総合駅の新ホームが、すでに完成しています。
こうして、1989(平成元)年7月8日。
くしくも、ナゲーの誕生日に、
金山橋駅は使命を終え、発展的解消となりました。
想像もつかないような巨大駅になり、
旧駅の面影は、何一つ無くなりました。
都会の中のローカルっぽかった
金山橋駅のご紹介でした。
ついでに
ナゲーが昔住んでいた、茶所駅付近の
中山道沿いにあった銭湯「橋本湯」
住んでいた借家には、風呂が無かったので
たまに利用していました。
古い建物がたくさん建っていました。
銭湯行ったら、やっぱり腰に手を当てて
コーヒー牛乳を飲むのが最高ッス!
今は、廃業して何も残ってません。
イロイロ消えて行くのが寂しく感じる年齢になりました。
あの頃はよかったなぁ(いつの頃だよ!)
今日はこの辺りで失礼します。