最近、テレビ・新聞で見た、ナゲー的に
気になる話題から、2件ほど。
どうやら、あの高級食材「マツタケ」が
なんと「絶滅危惧種」に、指定されたようです。
ナゲーがほとんど口にしないままの絶滅危惧種指定に、
ナゲー国として、強い懸念と指定解除に向け
リコール運動を展開しようと勝手に思ってますが、
それに対応してか、どこかの企業で「バカマツタケ」の
栽培に成功したようです。
香りが似ている品種のようですが、名前がど~も・・・・。
(ナゲーのマツタケも、実はバカなんです。ナンヤロネ?)
「アロマツタケ」とか、(精神が落ち着くお香入り)
「ブルマツタケ」とか、(これはヤヴァイなぁ)
次の話題、NHK(ナゲー放送協会)の番組で目にした話し。
スマホの話題で、気になる言葉を知っているかどうか聞く企画。
町のインタビューで町行くオバチャンに、リポーターが
「SIMフリーってご存知ですか?」とたずねたところ、
オバチャンは、「シモフリー?下フリー?オトコはみんな下フリーよねぇ!ガハハ」
これ、NHK放送禁止用語じゃね?
久々に、笑い転げたナゲーです。
ということで、時に下ネタフリーのナゲーブログ
本日も進めて参ります。
今回も1996年の鉄道汚写真、
ご紹介して参ります。
下フリーではありませんので御注意ください。
1996年2月7日。樽見鉄道・木知原(こちぼら)駅付近。
一時期、JR東海さんからの乗り入れが、
頻繁に行われていました。
なんの団体さんか分かりませんでしたが、
雪だるまのマークが、可愛かったので。
「TDE10形1号機」Vサインと、JR東海さんの「14系客車」
1996年2月11日。
未だに見分けが付かないナゲーですが、
「485系」か「489系」ボンネット形の特急しらさぎ。
1964年に登場して、JR特急群の中では老舗に入る部類。
北陸新幹線の「新北陸トンネル」が貫通したというニュースを
本日の新聞で見ましたが、
いよいよ、特急しらさぎの運命も、先が見えてきたようです。
(ナゲーブログの運命も、先が見えてきました!)
1995年に運行を開始した「SL北びわこ号」
当時は人気が高く、客車も堂々の8両編成。
当時は1.5往復で、午前中1往復。
午後は、行きが回送列車。
「DD51形ディーゼル機関車」が、SLもろとも引っぱり回送。
帰りが「SL北びわこ4号」として運転されました。
(転車台。車両の向きを変えるための、グルグル回転する線路)
が、設置されていないため、逆向き運転は仕方ないですが、
逆向き運転2本をなぜ、営業列車にしたのかは不明。
SLの逆向き運転は、運転士が後ろを向いて運転する
少々アクロバティックな運転形態になるため、
(ナゲーも少々、アクロバティックな体型になってます)
法律で速度が45km/hに制限されています。
いくら本数が少ない北陸線とはいえ、
他の列車に多大な影響を与えるので
2003年でバック運転は終了になったようです。
バック運転のため、炭水車にも
(動力源の石炭と水を搭載した車両)
ヘッドマークが付いていました。
SLやまぐち号のオフシーズンには、
C57形・通称「貴婦人」が、出張しました。
1996年2月26日。
JR東海道本線・岐阜駅周辺は、
完全に高架化されました。
切り替えられてから数日後の、仮線路。
廃線跡みたいに、フェンスで仕切られ
撤去の日を待ちました。
現在は一方通行の道路になっています。
1996年3月3日。
とてもお見せできるような写真では無いのですが、
皆さんに、このような失敗を二度と繰り返して欲しくないとの
ナゲーの願いから、敢えて公開させて頂きます。
(こんな失敗するの、アンタだけやわ!)
ホント、アホでしょ?バカじゃない?意味不明!
もう汚写真なんてやめちゃえば?
恥ずかしくないの?生きてる意味ある?
アンタってサイテーね!人格を疑うわ。
人間やめちゃえ!宇宙へ帰れば?
(そこまで言わなくても・・・・、イヤ、言うのが本人の為です)
なんで、こんな大事な重連なのに
電柱をSLの真横に入れてんの?
あ~もう、生きていけない!恥ずかしい!情けない!
どっちから読んでも、ワタシマケマシタワ!
はぁ。SL重連が台無しに・・・・。
ちなみに、「C57形貴婦人+C56形ポニー」
(ポニーですよ!PONYさん!)
今から考えても、どうしてこんなふうに撮ったのか理解不能。
永遠のアホとして、笑ってやって下さい。
せっかく、煙もいっぱい出してくれてたのに・・・・。
力強さも、何も伝わってこない、
ホントに酷い、まさに汚写真でした・・・・。
1996年3月15日。
鉄道ドマニアばかりでなく、
青春18きっぷファンからも、こよなく愛された
翌日のダイヤ改正からは、全席指定の快速列車
「ムーンライトながら」に格上げのため、
最後の165系の姿を撮影に、大垣駅へ。
大垣夜行入線の前に、
JR東海さん「381系・急行シュプール栂池・八方」が発車待ち。
(発砲と聞いたら、任侠の血が黙っていないナゲー)
当時はスキー客用夜行列車が多数運転されていました。
(ナゲーはスキー1回行って、挫折しました。話しは滑れますが)
東京行きだけど、大垣夜行。
電車好きではない人まで覚えられた列車番号「372M」も
立派に掲げられています。
こちらは、運びきれない乗客を捌くための
臨時大垣夜行「9372M」。1番線に停車中。
本家「大垣夜行」には、沢山のドマニアさんが群がりました。
(ナゲーもそのうちの1人)
国鉄時代の夜行列車を彷彿とさせる横サボ。
青色の直角座席。これで東京は、さすがにきつそう。
東京に着いたら、「急行東海」で運用されるため
中間には、ナゲーとは¥のない「グリーン車」が連結されていました。
普通列車扱いでしたので、安い出費で、柔らかい座席をゲット。
みんな、ラクして行きたいので、すぐにチケットは無くなりました。
お名残乗車で、岐阜駅まで乗りました。
現在のように、「葬式鉄」と呼ばれる、
プラカードを掲げたり、「アリガトウ!」と叫ぶドマニアも居なくて、
静かな、大垣駅とのお別れでした。
高架になって間がない岐阜駅を、最終日の大垣夜行が
東京へ向けて、最後の力で走り去りました。
岐阜駅ホームに入ってきました。
当然、乗る人はほぼ皆無。
夜行列車の使命は、終わりが近づいていました。
(ナゲーもそろそろ、終わりが近づいています。髪が)
全く繋がりがないオマケ。
1996年4月2日。名古屋鉄道・三河線 猿投(さなげ)~平戸橋間。
どうしても、この看板が撮りたくて、
「6000系」ばかり走ってる、三河線へ行けば取れるだろうと思い、
これだけのために、電車に乗って出かけたドマニアナゲー。
岐阜の「かかみがはら航空宇宙博物館」開館記念の看板。
ただこれだけの事に、¥を費やすナゲー。
撮りたい列車があると、なけなしのカネをはたいて行くナゲーです。
長々と失礼致しました。
まるちゃんも、目の上あたりがハゲかけて・・・・。
今日はこの辺りで失礼します。